人生の崩壊_期待と現実の間で
人生の崩壊
私は、平凡な人間でしたが、名古屋にて人生の崩壊を経験した。
①仕事編 転職後の環境に馴染めず、その中で働くことで次第に崩壊
②トレード編 コロナ大暴落でも勝っていたトレードで、大負けして崩壊
③家族編 一緒に住んでいた家族の借金と税金の保証人になり、2023年、ついに税務署から赤い差押予告書を受取、家族の仲の崩壊
今回は、①仕事編 をお話できればと思います。
転職
2020年、大阪から名古屋に転職することになった。
システムの営業先の社長に、ありがたいことに気に入られて、勤めていた大阪の会社、双方の了解のもと、移住する事になった。
名古屋での新生活に胸を躍らせて臨んだが、現実は厳しく、期待が大きかっただけに絶望も深かった。
期待とは裏腹に、新しい環境での孤立感と戸惑いが、私を追い詰めていくのです。
自分の母以上の年齢の、、いわゆるお局様に目をつけられた。
”社長に優遇された人間”というのが癇に障る存在だったのか。
そういう冷遇されても、花開ける人間だったらいいけど、元々、感情の浮き沈みのある俺には無理だった。
その状況を当たり前のように受け入れて働く、性格的に善良で真面目な社員たちに、おぞましいものを感じた。
受け入れがたいギャップを感じながら、俺は働くしかなかった。
他人の視線が自分の中に、内在化したような、常に見られているような、呪われた病気をかかえながら、善良でいい人を演じた。
でも、長続きはしなかったな。精神がすり減っていくのを感じていた。
そんなおり、誰かが辞めるかも、という話を聞いた、、俺は行動に移した。
辞職
一年目にして、辞職を伝えた。私は自分の心がもう限界だと感じていました。
将来への不安が重なり、もはやこの環境にいることが精神的に耐え難いと感じたのです。
心の中は恐怖と解放への希望で混ざり合っており、身体中、震えていました。
性格に難ある社長だったが、ここまで"成長させてもらった恩義"があったから心苦しかった。
その社長が、引き止めるために取った手段が、前の大阪の社長を呼び出す、という事だった。
大阪、名古屋の"社長"に囲まれた状況。これには、、、さすがにまいった。
今までのサラリーマン経験で、一番”胃が潰れそうな”時間だった。
それでも、辞めたい、と伝えた。
それで、いったんは、リモートワークとして隔離生活することになった。
しかし、コロナショックの余波が遅れて、会社の数値としてやってきた(あれには驚愕したな...)。
会社の状況的に、そういう甘えた優遇ができなくなった。
現場復帰
望まない現場復帰だったけど、、ここまで酷いとは思わなかった。
気性の荒い社長は、今まで以上に気性が荒くなっていた(今思えば、あれは、やっぱり、ああなる前に、"社長に相談するべき"だったぞ。。)。
あの状況で、あの人に、つめられて代案を出せる精神状態の人はいなかった。
そして、誰かが、消沈するように辞めた。すぱんと。
そして、羊たちは沈黙した...俺もその一匹だった。
俺は、、一年目に、あれだけ"おぞましいもの"として診ていた社員に、俺は成っていた。
その事実を帰りの車で、独りになった時、茫然自失となっていた。
堕落
その後は状況を受け入れて、、、必死に働いていた。
元々、困っている人を捨てる勇気もない愚かな人間だったから、、俺はなにかに変身した。
昼間、今まで以上に、いい人になって、社員の誰よりも働いて残業。土日も可能な限り出勤(数値と在庫の確保!という使命感があった)。
夜は、暴飲暴食とギャンブルトレードで大損していた。その敗北が、逆にドラックのような快感だったと思う。堕ちていく自分が心地よくて。
私は、夜中の、中村公園の池の畔のベンチで、ハイボールを持って泣いていました。
助けてほしいと、願いました。
池に投げた小石の音が消えるように、私はこの世から消えたかった。
古池や。
— たこやき (@TakotakoOsaka) October 7, 2023
水底に沈む
秋のコエよ。
底にしずめし、
スクリームを聞け pic.twitter.com/XsSGBQQlUt
対話
このような経験をされた方はいますか? 皆さんのストーリーを、コメント欄で聞かせてください。