アプリリリースで得られたモノ
サラリーマン時代の労働からの開放?
サラリーマン時代は、なんとなく生きていました。
学生時代、宿題やテストをこなすように、会社から与えられた課題をこなす感覚かもしれないです。
「◯月◯日は会議があります」「◯月◯日は取引先へ出張」「◯月◯日はリリースだから、21時にだな」
そうやって働いていた時期の不平不満は、必然、会社に向いていました。
今の労働は、強制労働のようで、「そんな他人からの約束や義務によって縛られたくない!」という反発心があったのかもしれません。
でも、今思い返すと、「自発的な労働」という労働を、サラリーマン時代にしていただろうか?
何でもしていいと言われて、自分から積極的に何かを進めてきただろうか?そう、己に投げかけてると、何もしてこなかった。では、この自由を求める感情、開放はなにか?
自分なりに言語化するなら、労働そのものからの開放、、、自由そのものを求めていた。何もしない惰性的な自由を。
アプリリリースで得られたモノ
そうやって煩悶しながら鬱々とした日々を過ごしていました。つまらない、と思いました。
(個人的に色々と、嫌な事も重なって、人生のどん底、人間不信になっていたと思います)
巷であふれる、モチベーションアップの書籍や動画を漁っても、腹の足しにもならないし、何のために生きているのか分からなくなりました。
そうして、悩み抜いた結果。
私は、寝る前も惜しんで、一つの小さなアプリケーションを作ることを決意しました。
そうして、できあがった、それをみて、私は悦びました。
プログラマーとしての喜びもありますが、それよりも、自分の可能性を感じられたことが、嬉しかったのだと思います。
複数のアプリを開発しました。その中で、AIチャット共有アプリ(aichans.com)が誕生しました。
「夏目漱石 私の個人主義」から引用するなら、「自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘当てたような気がした」という感覚です
アプリリリースして、得たモノ。。
それは、自分本位に生きる、というシンプルなものでした。