【ブログ_お金】トレードの負けた後の、夢のチケット。
どうも、負け犬たこやきです。
大阪、難波の夜の街に繰り出すと、あちこちでバンドマンやメイド服姿のアイドルたちがチケットを売っていた。
彼らのエネルギーや情熱が渦巻いているのが伝わってくる。音楽やアイドル活動って、どこか夢と現実の狭間にあるものだ。特に若者にとっては、その一枚のチケットに自分の未来がかかっていると感じることもあるだろう。
チケットを手にする人々も、実は夢を支えている側の存在なのかもしれない。そんな彼らの姿を見ていると、自分も何か応援しなきゃという気持ちになってしまう。だからこそ、その日のトレードで20万円を失った自分も、ついチケットを買ってしまったのかもしれない。
「相場で負けたお金より、このチケットの方が価値がある」。
そう自分に言い聞かせて、買ったばかりのチケットを手にして地下鉄に乗った。負けた金額は大きかったけど、なぜかそのチケットを持っているだけで少しだけ心が軽くなった気がした。
お金は一瞬で消えてしまうものだけれど、若者たちが夢に向かって頑張る姿を応援することには、何か大きな意味があるように思えたんだ。人生って、そういう無形の価値が時々自分を支えてくれることがあるんだよな。トレードでの損失を冷静に受け止めながら、そんなことを考えていた。
ところが、電車に揺られてふと気づいた瞬間、あのチケットが手元から消えていた。「あれ? さっきまで確かに持っていたはずなのに…」。
バッグをひっくり返して探したが、どこにもない。どうやら電車に乗るときか、座席に座ったときに、うっかり落としてしまったらしい。
「なんてこった…また俺、やっちゃったよ」。
頭の中で苦笑しながら、少しだけ後悔の念がよぎる。
せっかく自分なりに「このチケットには価値がある」と思い込んでいたのに、それすら失ってしまうなんて、これもまた俺らしいと。負け続きの一日がさらにパンチを効かせて、苦虫を噛み潰したような気分になっていた。
でも、冷静になって考えてみれば、あのチケットを買った瞬間に、自分はすでにその価値を手にしていたのかもしれない。
物そのものではなく、応援する気持ちや、それを買った時の感情にこそ本当の価値があったのかもしれない。そう思うと、不思議と心が軽くなった。
人は時々、形のないものに救われることがある。何かを得るためにお金を使うけれど、実際に救ってくれるのはその裏にある思いだったり、体験だったりするんだよな、と改めて感じた。若者たちの夢に少しでも関われたという実感、それが今日一番の収穫だったのかもしれない。
それにしても、負ける日というのは徹底的に負けるものだ。
トレードで大損、そしてささやかな癒しだったチケットすら失う。そんな一日を経験すると、少し投げやりになる気持ちもあるが、笑い話にしてしまうことで救われる部分もあるのだろう。
「おいらの人生って、こんなものさ」。
相場で失ったお金も、チケットも、なんだかんだでまた明日が来る。次の日が、少しでも笑える一日であればいい。そう思いながら、揺れる地下鉄の窓に映る自分の顔をぼんやりと見つめていた。